2014年3月11日火曜日

【日記】震災の時の思い出話。


「3月11日以降、本当にたくさんの人を抱き締めた」 / 臼澤良一



「震災の時に東京にいた。ゆれたね」という、あまり大事ではない思い出話。
とか。



あの日。秋葉原の古いビルで仕事をしていた僕は、突然の揺れに「建物が崩れるんじゃないか?」と感じました。

大して高くないビル。確か6階に居たんですけど「ビルが崩れて死ぬリスクと、6階から飛び降りて死ぬリスクのどっちが高いんだろう?」的な事を考えていましたね。

揺れが沈静化した後、屋外にみんなで退避していた時に、普段明るい女性が青ざめている姿を見て「ああ、ビックリしたんだなあ」と。というか、僕もビックリしてたんですけど。



そんなビックリが一ヶ月近く、毎日のように続いた訳で。

津波警報があった時も「どうせいつものように大きな波は来ないんでしょ」とタカをくくっていたら巨大津波で大勢の人が死んで。←テレビの向こう側、しかも実際の個人ではなく数字のカウンターが上がる情報だけなので「亡くなった」というより「死んだ」という印象が強かった。

テレビは全然CMをやらなくて。津波の風景と、火災と、原発の話しかなくて。
ACの「ありがとウサギ」が延々とリピートされて。

高層ビルの高ーいフロアでランチを食っていたらに余震が来て、周囲のビルがグニャグニャに曲がる風景を見たり、とか。あの時平気なフリをしていたけれど相当怖くて。店員のオバちゃんは「さすがに慣れたわー」とか言ってて。



原発が爆発した瞬間もテレビを観てました。

ワイドショーだかニュース。画面ではキャスター達が座ってて、後ろにモニターが映ってる。画面には原発を遠くから映した生放送の中継カメラ。その画面の中で、原発の屋根がボーンと吹き飛んだ訳です。いきなり。音もなく。

で、キャスターが慌てるかとおもいきや全然慌てない。というか全く爆発に触れない。普通の会話をずーっとしている。テロップも何も出ない。

自分が見た爆発は何だ? 見間違いか? それとも何かの録画で言及する価値の無い映像か?
とかモヤモヤ考える訳です。そして数分過ぎてようやくキャスターが「原発の方で何かあったようです」とか言い出して。「何かもクソも見るからに爆発してたるだろ!」的なツッコミが脳内で駆け巡って。

まあ、キャスターの人は状況的に慎重にならざるをえなかっただけだと思いますが。



本当にヤバイ時は「ヤバイです!大変です!」という演出が起きるんじゃなくて、あくまでも平穏な日常の延長線上で起きる。そこで「あれ?」みたいな違和感から始める。

津波で流される家の上で、割とノンキに歩いている中年男性がが居て、その後見えなくなったりとか。

原発・津波・震災が繰り返されるニュース番組とか。



震災については、当時 4Gamer さんにコメントを語ったんですけど。

内外のクリエイター達から寄せられた応援メッセージを一挙掲載
http://www.4gamer.net/games/000/G000000/20110323036/index_3.html#032

もうひとつの感情として「これはスゴイ」という感情も持っていて。誤解を恐れずに言えば、クリエイターとして「これは得難い体験だ」とも感じていた訳です。

画面の向こうで沢山人が死んでいるのに。不謹慎極まりない。
でも、そう感じてしまった。

創作を仕事にしている人間であれば、自覚的であれ、無自覚であれ、いい方向であれ、悪い方向であれ、心を動かされてしまった。そういう地震だったと思います。



東京で震災を体験したけど、友人も親類縁者も全員ピンピンしている自分。

津波も原発も関係なくて、家でワイドショーを見ているしか無い状況。毎日毎日毎日毎日ウンザリする程繰り返されるACの「ありがとウサギ」と繰り返し流される悲劇。ネットでは原発がいいだの悪いだのの論争と、何が出来るか出来ないかの叫びが渦を巻いていて。

東北の人達と違い、自分に直接被害があったわけでもない。「大変だった」ととてもじゃないけど言えない空気。続く余震。他の震災、たとえば阪神淡路大震災を忘れたかのように「震災」と言ってしまう視野の狭さ。何も出来ない無力感。そして、また余震。



あの時、地震の影響と、異常な放送が及んだ地域の人達はみんなちょっと心理状態が異常だったように思います。実際には「傷ついた」「トラウマを持った」とかそういう状態だけれど、自分に直接被害が無くて、それを口に出せない後ろめたさも含んで。

「これはスゴイ」と思った自分も、「慣れた」と言ってた居酒屋のオバちゃんも、「儲け時だ」と書いて総バッシングを受けた人も、デマを流した人も、何も言わない人も、言う人も、政治家も、キャスターも、募金した人も、しなかった人も、みんな普通じゃなかった。

心理学で言うところの防衛機制が強烈に働いている状態。そんな感じだったように思います。

防衛機制 - Wikipedia
http://goo.gl/2l8D

そして震源の近くでは、もっと傷ついた人が沢山いたわけです。
人によっては癒せないほど、深刻に。



大槌みらい新聞: 流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」
http://otsuchinews.net/article/20130207/351


亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。
そして、いまもなお辛い思いをしている方の、苦しみが少しでも減りますように。


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